私が71歳で チャレンジするわけ Hidemi Chida
なぜ私は、71歳で「お気楽 第二の人生」をオンラインでサービスすることに、挑んでいるのでしょう?
私が体験したオーストラリアの暮らし方は、日本では感じられない気楽さがあります。この秘密を 第二の人生を歩かれる日本の皆さんに紹介したいと思ったからです。
多くの日本人が、老後を心配しながらも 今テレビなどで目にしている ‵老後の暮らし”に自分の将来を照らし合わせて想像しているのではないですか?でも、今では ’人生100年’と言われる時代です、70歳から考えてみても30年あります。
’健康で長生き’ だけでは、退屈で時間を持て余してしまいます。時代はすでに変わり始めています、第二の人生の生き方は、今までの考え方を変えなければならない時が、来ているのです。
あなたは知っていますか? 何もすることがない退屈な日々は、辛いと言う事を。
私は、55歳で離婚し 家族や、友人から離れ新しい土地で一人暮らし始めた時 うつを経験しました。家族の為、オーストラリアに根付く為に一生懸命働き、子供達を育て上げ離婚して一人になった時、「目標を無くし 将来に希望も持てなくなりました。知人もなく、本当に一人。そして、英語も充分に話せない。」これがうつの引き金になったのです。
私は、精神的引きこもりは長くかかり やる気が起きない「ただ生存している自分」の生活を長年過ごしてきました。いえ、外に出る事もできるし食べることもできました。しかし、生きがいのない日々は、将来に希望も持てず、楽しさも感じられませんでした。だから、その「心に感情がない 退屈な日々は、辛い」ということを知っているのです。
元気な自分になろうと色々な事を(英語で)学び行動し、自力で’うつ’ ’精神的引きこもり’ から脱出しました。ボランティアの仕事をしながら、沢山の事を学び、色んな人の愛を知りました。それは大切な宝物です。
“最後に後悔しない生き方”を求めて、、、私もひと踏ん張り
日本での後半の人生の情報を探っていたら、心あるシニアの人たちが、日本の国を良くしようと、動いているのを知りました。ある人は、「自分は78歳だが、命がけで これを伝えている」と言っていました。その姿をみて、私は心を打たれ、そして、自分の中から’燃え上がる気持ち’を発見したのです。
71歳の私には、オンラインのビジネス、インターネットなど難しいです。しかし、私に出来る形で わが祖国日本の皆様にお役に立つことを、やってみようとチャレンジしているのです。
私は、世界の事情知り、海外に住んでいるからわかる事がたくさんあります。日本の素晴らしい暮らしを認識してもらい、オーストラリアの気楽な暮らし方をあわせて、皆さんに紹介します。それから、私が様々な人生の波を乗り越える為に行動した事は、きっと多くの方に役立つと信じています。
ここへ来てくださった皆様へ 心を込めて、私の言葉として伝えていきます。
現在オーストラリア在住歴40年。高校時代日本一人旅。20歳でオーストラリアへ一人旅。結婚後30歳で移住。
二人の娘を育てながら、教育関係の仕事を11年、その他にもこの国に根付く為に色々なことをしてきた。違う領域に挑んだために、苦労も多かったが学びも大きい。50歳まで思いついたことを活動的に生きてきた。
仕事を辞めた時点で、これからの人生を見つめると、分からなくなり生きる目標を無くし空虚感が襲った。それで夢を思い出し、52歳人生の中間地点で、ヨーロッパ11か国3か月、日本を1か月間「自分を探す旅」をした。そして、旅行記を出版。その後55歳で離婚(日本人、オーストラリア人との結婚、離婚歴二回)。
娘たちは独立し、私の自由な人生が始まる?? と思いきや...
離婚後一人新しい土地に暮らし始めた私は、思いがけず ”うつ”になった。ひどい時期は、脱出したものの 私の人生は、”精神的引きこもり”でに10年程、若い頃あった行動力も 萎えてしまい、人を怖がり人の中に入ること、話すことなど出来なくなってしまった。
その間、自己啓発、引き寄せの法則、スピリチュアル、心理学、潜在意識、ビジネスなど学び、試行錯誤して生きた。
オーストラリアに根付く為に、55歳から英語習得に力を入れた。日本に頼ることをやめ、一歩一歩進んできた。その成果もあり、今ではオーストラリア人のコミュニティに入って 幸せに一人暮らし続行中です。
私は、〝うつ、精神的引きこもり” を経験し、自分に戻るまでの大変さを通ったから得られた 沢山の宝物を 今あなたに共有できる事を嬉しく思います。
(52歳の私の行動「自分を探す旅」を覗いてみたい方は、「バックパッカー ママ」 アダムス.秀美著を検索してみてください)
アマゾン書籍:こちらからご覧いただけます>>
デミ